文系・理系の区分は、進路の話であって能力の話ではない
高校で一度選んだ区分が、その後の自己認識を何十年も縛ることがあります。 「自分は文系だから数字は苦手」「理系だから文章は書けない」。 けれど実際に人を分けているのは学部ではなく、考えるときにどの入口から入るかという癖のほうです。
入口が違うだけで、行き先は同じ
同じ問題を前にしても、言葉に置き換えて考える人、数量に置き換える人、図にして考える人がいます。 どの入口から入っても、正しい答えにはたどり着けます。違うのは、たどり着くまでの道すじだけです。
問題が起きるのは、自分の入口が使えない場面に置かれたときです。 数字ばかりの資料、図のない説明、言葉だけの抽象論。このとき「自分には向いていない」と感じますが、 実際には翻訳すれば扱えることがほとんどです。
数字が苦手な人でも、意味に翻訳すれば扱える
「離脱率が10%改善した」と言われてもピンとこない人が、「10人に1人減っていたのが、なくなった」と聞くと理解できる。 これは能力の差ではなく、入口の違いです。
だから数字を避けるのではなく、意味の言葉に置き換えてから扱ってください。 逆に数量から入る人は、結論を一文の日本語に直す習慣を持つと、伝わり方が変わります。 どちらも、相手の入口に合わせる作業です。
「両方できる人」がいちばん足りていない
いま現場で不足しているのは、専門家そのものより、専門家同士をつなげる人です。 技術の話を経営の言葉に直せる人、法律の条文を現場の手順に直せる人、 データの結果を意思決定の材料に直せる人。
この位置に立てるのは、どちらの入口も使える人です。 ただし注意点があって、両方を中途半端に持っているだけでは橋渡しはできません。 一つ深く掘った領域があってはじめて、翻訳に説得力が生まれます。
感覚から入る人が、いちばん見落とされる
理屈より先に違和感で気づく人は、根拠を求められる場で不利に見えます。 しかし実際には、言葉になる前の異変に最初に気づくのはこのタイプです。
有効なのは、違和感を消さずに一行メモで残しておくことです。 後から理由が見つかることが多く、そのとき「最初から気づいていた」ことが証明できます。 感覚は非科学的なのではなく、まだ言語化されていないだけの観察です。
いま選び直しても遅くない
高校で選んだ区分は、その後の人生を決めるものではありません。 文系出身のエンジニア、理系出身の編集者、どちらも珍しくありません。 むしろ、もう一方の入口を後から身につけた人は、その分野で希少な存在になります。
始めるなら、自分の入口から入るのが鉄則です。 言葉から入る人は入門書から、図から入る人は図解から、実物から入る人は手を動かすところから。 順番を間違えなければ、たいていのことは学べます。
この記事は本アプリのために書き下ろしたものです。特定の書籍・論文からの引用は含みません。 文系・理系という区分は、日本の教育制度上の慣習的な分類として用いています。