望むことに、自分から許可が出ない
「いまで十分なのに」「わがままだ」。望みを口に出す前に止めてしまう。望むことは、いまを否定することではありません。まず言葉にするところからの話です。
- こんな人に
- やりたいことを口に出せない人
- 結論
- 望むことは、いまを否定することではない。まず3つ書き出す
- 読む時間
- 約3分
何がやりたいのか、と聞かれて答えられない。考えようとすると、先に別の声が出てくる。
「いまの生活で十分なのに」「贅沢な悩みだ」「そんな余裕はない」。望みを言葉にする手前で、止まっている状態です。
そして、止めている声は、自分の声のように聞こえます。だから、外から来たものだと気づきにくい。
望むことは、いまを否定することではない
ここがいちばん誤解されている点です。
別のものを望むと、いまの生活や、支えてくれた人を否定することになる気がする。だから止める。この結びつきは、事実ではありません。
望みといまの生活は、並べて持っていて構いません。両立させる方法を考えるのは、そのあとの話です。
それに、望みを持つことと、実行することも別です。持っているだけでも構いません。持っていないと、機会が来ても気づけません。
許可が出ない背景
たいてい、繰り返し聞いた言葉があります。
- 「わがままを言うな」。子どものころに何度も言われると、望むこと自体に罪悪感がつきます。
- 「身の丈に合ったことを」。安全のための助言ですが、範囲を先に狭める働きをします。
- 「他の人はもっと大変」。比較で望みを取り下げる癖がつきます。
どれも、当時は必要だったかもしれません。いまも同じ設定でいる必要はない、というだけの話です。
そして、言った側も、一生分の指示のつもりで言っていません。そのときの状況に対する言葉が、設定として残っているだけです。
誰にも見せない場所に、3つ書く
やることは1つです。誰にも見せない場所に、やりたいことを3つ書く。
実現性は考えなくて構いません。順番も要りません。人に見せない前提だからこそ、書けるものがあります。
言葉にできないものは、始まりません。逆に、書いた時点で半分は動いています。
書けないときは、「やりたくないこと」から書くと出てきます。避けたいものが分かると、その裏側に望みが見えます。
判断の基準を、変えてみる
「わがままかどうか」で考えると、たいてい止まります。基準を変えてください。
「それで誰かが損をするか」。ほとんどの望みは、誰も損をしません。損をするとすれば調整が要りますが、それは相談すればいい話です。
わがままという言葉は、判断の基準としては曖昧すぎます。使わないほうが正確に考えられます。
もう1つの基準として、「10年後に、やらなかったことを後悔するか」も使えます。ここで残るものは、たいてい本物です。
1つだけ、口に出してみる
書けたら、次の段階があります。信頼できる人に、1つだけ話す。
不思議なもので、口に出すと輪郭が出ます。自分でも、どれくらい本気なのかが分かる。話してみたら興味がなかったと分かることもあり、それも収穫です。
反対されそうな相手は避けてください。この段階では、検討ではなく確認をしているだけです。
まとめ
- 止めている声は自分の声に聞こえるので、外から来たと気づきにくい
- 望むことは、いまを否定することではない
- 望みを持つことと、実行することも別。持っていないと機会に気づけない
- 誰にも見せない場所に3つ書く。書けないなら「やりたくないこと」から
- 基準を「わがままか」から「誰かが損をするか」に変える
- 書けたら、反対しない相手に1つだけ話してみる
自分がどこで止まっているかは、心のブロック(夢・目標)診断で確認できます。