「自分のせい」と「自分の課題」は、まったく別のもの
責任を引き受けることと、自分を責めることは違います。前者は次の行動を生み、後者は消耗だけを残す。同じ出来事から違うものが出てくる分かれ目を整理しました。
- こんな人に
- 何でも自分のせいにしてしまう人
- 結論
- 責任を引き受けることと、自分を責めることは別
- 読む時間
- 約3分
「ちゃんと自責で考えなさい」と言われて、素直に受け取った結果、動けなくなる人がいます。原因は真面目さではありません。責任を引き受けることと、自分を責めることが混ざっているからです。
同じ出来事から、二つの言葉が出てくる
納期に遅れた、という同じ事実に対して、二通りの受け取り方があります。
- 自分の課題として見る。「着手が3日遅かった。次は初日に段取りを組む」
- 自分のせいとして見る。「自分は要領が悪い。いつもこうだ」
前者からは行動が出てきます。後者から出てくるのは、疲労だけです。反省の深さが違うのではなく、向き先が違うのがこの二つの差です。
見分ける問い:次にやることが書けるか
判定は簡単です。振り返りのあとに、明日やることを1行書けるか。
書けるなら、それは課題として扱えています。書けずに「気をつける」「もっと頑張る」しか出てこないなら、扱っているのは課題ではなく人格のほうです。
「気をつける」は行動ではありません。同じ場面でまた同じことが起きます。
課題として扱うための、3行の型
長い反省文より、この3行のほうが効きます。
- ① 何が起きたか。事実だけ。評価も感情も入れない。
- ② そのうち、自分が動かせた部分はどこか。1%でも構いません。全部である必要はない。
- ③ 次にやること。期日つき。「気をつける」は不可。
②が重要です。100%自分のせいにしなくていいということが、この形には含まれています。動かせた部分だけを取り出すので、他人や環境の領分は自然に外れます。
「自分のせい」に寄っていく条件
課題として扱えるかどうかは、その人の性格だけで決まりません。状況によってかなり動きます。
- 疲れているとき。判断力が落ちると、細かい切り分けができなくなります。
- 責められているとき。相手の語気が強いほど、事実の話が人格の話にすり替わります。
- 結果しか見られない場所にいるとき。過程が評価されないと、自分の行動と結果を結びつけられなくなります。
- 一人でやっているとき。他人の視点が入らないと、範囲が広がったまま気づけません。
つまり、切り分けができなくなっているときは、まず休むか、人に話すかのほうが先です。考え方を変える努力は、その後で効きます。
他人に対しても、同じ分け方をする
この区別は、人に指摘するときにも使えます。
「確認が抜けていた」は課題の話。「あの人はいい加減だ」は人格の話。同じ出来事でも、後者を言った瞬間に相手は守りに入り、改善の話は終わります。
行動だけを取り上げる。これは相手のためというより、問題を解決するために必要な技術です。
課題にできないものもある
最後に、大事なことを一つ。すべてを自分の課題に変換できるわけではありません。
制度の問題、人員の問題、方針の問題。自分の行動では動かせないものは、課題ではなく交渉の対象です。ここを無理に自分の課題に変換すると、努力しても報われない構造ができあがります。
そして、自分を責める気持ちが強く、気分の落ち込みや不眠が続く場合は、考え方の工夫で解こうとせず、産業医・かかりつけ医などの専門家にご相談ください。
まとめ
- 責任を引き受けることと、自分を責めることは別のもの
- 見分け方は「明日やることを1行書けるか」。「気をつける」は行動ではない
- 「何が起きたか/自分が動かせた部分/次にやること」の3行で書く
- 100%自分のせいにする必要はない。1%でよい
- 疲れ・叱責・結果だけの評価・孤立は、切り分けを壊す
- 自分の行動で動かせないものは、課題ではなく交渉の対象